サウナについて

サウナの「ととのう」には、ポジティブとネガティブがあるように思う。

私が初めてととのった時はポジティブ、いわゆるオーソドックスな入り方をした時の多幸感・無条件の感謝・頬が緩んでニヤけてしまう・筋肉がピクピクとなって、それが気持ちいい等、普通に気持ちがいいリラックスした状態であった。

その快感は最初の二度しか経験できず、それ以降は普通に気持ちはいいがディープリラックス程度だった。

それでも充分だったが初めて小さい近くの銭湯に行った時にネガティブなととのい方を経験した。

水風呂に入っている時に銭湯内の換気扇・水の音などがホワイトノイズみたいになって、一気に音量が増して聴こえてきた。

口を水面ギリギリにして入っていたので、気持ちよかったが油断すると溺れそうで怖かった。

人間は気絶する寸前に気持ちよくなるのかも知れない。

気絶して溺れる恐怖で脳内の色は黒なのだが、光が一点見えた。

だんだん近づいて来ると、その光に到達すれば悟りを啓けるような全能感があった。

しかし、同時に光に到達するのは気絶を意味するのでは?と、溺死する恐怖を感じた。

私は恐怖に負け、水風呂を出た。

腕時計のストップウォッチを見ると6分経過していた。(体感時間はもっと短いというか途中から時間感覚は無かった。「走馬灯は一瞬」というのに類似するのかもしれない)

全身ガタガタ震えていたが、何とも言えない快楽を感じていた。

ゆっくり歩きながら外気浴の椅子の前まで来たが、座るという動きをすると今感じている快楽が消えそうな気がして椅子の前で立っていた。

もちろんまだ全身拭いていないので濡れていて、気化熱でどんどん体温は奪われていった。

体温が下限の臨界点を迎えたのか、気絶して倒れそうになったので、そのまま椅子に落ちるように座った。

座面に着いた瞬間、自分の肉体から幽体が重力方向に引っ張られてズレるような感覚を味わった。

スピリチュアル的に死というのは肉体と幽体を繋いでいるシルバーコード(魂の緒)が切れたことを意味する。

しかし、寝てる時も幽体離脱はしていると考えられているので、幽体が抜けることはリラックスしているとも言える。

あのまま光に到達していれば悟りを啓けたかもしれないが、あの時の感覚はあの時だけだ。

あの時よりも強いネガティブととのいを最近、経験した。

そこはまあまあ有名なサウナ。サウナーなら聞いたことがあるかも知れない程度のサウナである。

先ほどの銭湯の水風呂は頭を載せることができる縁が無かった。

そこのサウナは水温が異なる二つの水風呂があり、高温の方は頭を縁に預けて体を浮かせることができる。

低温の後に高温の水風呂に入ると温かくさえ感じる。

そこでグワングワンと回る感覚で快楽を感じる。

文章で書くと銭湯の方が快楽が強そうだが、こちらのサウナの方が強い。

高温とは言っても実際は冷たいわけで、その水風呂の中で体感だけでも温く感じるというのはリラックスできるということだ。

銭湯の水風呂は冷たいと思って入っているのでリラックスはあまりできていない。

ぬるく感じる水風呂の中で強烈なととのいが来る。

銭湯の時のような、ある意味「深い」ととのい体験は恐怖や死と隣り合わせかもしれない。

スピ的にも、あらゆる「恐れ」を手放すということ事は重視される。

その先に「悟り」があるのかもしれない。

しかし、悟りたいということ自体が自我を強化し悟れないと最近悟った。

サウナのマナーについて書きたい。

サウナのマナーというのは、ある意味すごく面白い。

自分が1セット目のサウナ室にいる時に小窓から見える水風呂で汗を綺麗に流さずに入っている人を見るとイラッとしたり、羨ましくもある。

イラッっとすると当然自分もととのいにくくなるし、自分も汗流しカットで入りたいなぁ~とも思う。

個人的には他人の汗はそこまで気にならないので全水風呂が汗流し無しOK、潜水OKになって欲しいぐらいだ。(坊主の人だけ)

しかし、マナーを守っている人が大半なので自分もちゃんとやっている。

ここに日本の学校教育の洗脳は成功しているなぁ~とも思うし、他人を思いやる事ができない人間が俺より深いととのいに達してる訳が無いという謎の脳内マウントを汗流しカットおじさん達に対して勝手に思ったりしている。

しかし、これは完全にエゴだ。

汗流しカットおじさん達はエゴイストだし、「汗流ししろよ!」と強く思う事もある意味エゴイスティックだ。

ここで「赦し」という概念が出てくる。

不思議なことに1セット目でととのうと、それ以降にマナーが悪い客がいてもだんだん許せてくる。

3セット目で完全に自律神経がととのうと、「自分も普段、知らない内に誰かにとってのマナー違反を犯して、許されているんだろうなぁ~」という境地に達する。

僕はこれを「凪」と呼んでいる。

宗教的な意味の「涅槃」や「ニルヴァーナ」の肉体的下位互換だと思っている。

自我やエゴを消失させるという意味で、僕はサウナを瞑想だと思っています。

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