aoi わこ陽平くん!
aoi ちょっと聞きたいんだけど、鈴木大拙という宗教哲学者を知ってる?
aoi 彼は1900年代初頭にアメリカで10年生活していて、スピリチュアルと関係ありそうなんだけど、禅にも傾倒していて陽平くんの精神世界へのアプローチに親和性を感じたんだよね。スピリチュアル面での彼の関わりについて知っていたら教えて欲しいと思ったのよ
川崎 Twitter見ましたけど確かに似てる部分はあるとは思います。名前だけは見たことがあるというだけでどういう思想の方なのかは知りませんでした。思想の流れとしては当然そうなるというか、僕の場合は「道(タオ)」から入った訳ですけど、チャクラとかブラフマンとかクンダリーニとか用語の行き着く先はスピリチュアルとかオカルトな訳で、スピリチュアルの行き着く先は階級波長差別区別とワンネスという矛盾を包含するというジレンマなんですね。そこを補完するのに禅というのは残りのピースとして最適だなって感じです。
ということで、鈴木さんのスピリチュアル面での関わりは知らないです。
申し訳ない。
aoi 長文レスありがとう。俺の場合はむしろ、神道や仏教など宗教が「如来感」によって合一された地平にあるスピリチュアル観念世界からもう一度個々の「心」の宇宙へと分岐する可能性を見出したく思いました。鈴木大拙の著作をこれから読むことで、スピリチュアルとの関わりや新しいさらなるアプローチが出来たらと思ってます。陽平くんの精神世界がより奥行きを見せますように
川崎 透明な光が「心」というプリズムに当たって分散し、ある色をキリスト教、ある色を仏教、ある色をイスラム教と呼んでいるのだと思っています。
そして元の透明な光の事を「神」「大日如来、阿弥陀仏」「アッラー」と呼んでいるのだと思っています。
aoi その理屈、合一性はスピリチュアルに通じるのだろうね。俺がツイートした鈴木大拙の記事から着想を得たんだけど、その考えだと「心」というプリズムは光を受容するのみで、受動的すぎるように思える。「心」こそが宇宙につながり、仏性すなわち悟りをもたらす能動であるべきだし、そのはずだと予想してるんだよね。鈴木大拙に触れることでその確信を深めるのか、別の考えにいたるのか楽しみにしてます
川崎 スピリチュアルじゃなくてもいいと思っています。
だから禅に進みましたし、禅もいつかは捨てるでしょう。
透明な光(神)に辿り着けば必要なくなりますから。
神→霊→精神(心)→肉体で作られたと思っているので、神に帰還するには逆を進むと思います。作られたのが受動であり、帰還は能動だ思います。
宇宙の受動が極まって、能動の方に一斉に戻り始めたのが今の時代なのかも知れません。
スピリチュアルは1つの宗教に過ぎず、他の宗教と共に肉体に相当するのかも知れません。
全ての宗教、無宗教、科学、文学、音楽、美術、ダンスなど全ての人が「心」で合一した時に元の透明な光に戻るのかも知れません。
だから「みんな違って、みんないい」のかも知れません。
aoiさんの言う通り、能動的に心を通り、宇宙という仏性に到達して悟りを啓くのだと思います。
そうして小乗的に悟った人が一定数を超えて臨界点を迎えた時、100匹目の猿現象の様に世界全員が当たり前の様に悟れるのかも知れません。
それが大乗なのかも知れません。
aoi 面白いね。一斉に能動に戻り始めていく時代が事実ならば、本来平和な時代でもあるはずなのにそうではない現実は悲しいけれど、だからこそ少しでも多くの人たちが能動的に光を求め、戻ってゆくことが大事なんだろうね。こう書くとそれこそ「悟りに近い人」と遠い人で差別が生まれてしまいそうだけれど、もう少し楽観的でいるのは、先の個々の心のプリズムそのものが仏性を等しく有していると希望しているからでしょう。陽平くんは神を高次的にとらえているように思うけれど、もちろんそうではあるんだけど一方で俺は近くにもいるというか、普遍なイメージがあるんだよね。高みにのぼるのと同時に横に広がるような…感覚の問題なのでそれが正しいとは言えないし稚拙ですらあるんだけれどね
川崎 神が白で、物質が黒だとすると現在は真っ黒な訳で物欲の世界だからこそ悲しい現実が目の前に広がっているのだと思います。
小乗的な意味では個人戦なので気付いた人から神に帰還し始めていると思いますし、悟りを啓いた人もいると思います。
ただ、全体の流れとしては黒という物質偏重の極から逆方向へ戻り始めたのかも知れません。
差別はあるし、差別は無いという事なのかも知れません。
僕は神はある意味、高次元のものだと思っていますけど、同時に宇宙全体に遍在していると思っています。
肉体にも浸透しているという意味では身近どころか重なっています。
X線が神や天照大神、紫外線が天使や八百万の神、可視光線が「心」(精神、マインド)、赤外線が肉体といった感じでしょうか。
「心」の波長を可視光線から紫外線に持って行ければ自分は天使や八百万の神や菩薩という存在と同等であり、その存在が見えるのかも知れません。
そして、「心」をX線まで持って行ければ「神」なのかも知れません。
どのレベルが悟りかは知りませんが。
拡がりとしては球状だと思っています。
それがオーラというか。
地球の事を自分の事と考えられる人は地球の大きさのオーラみたいな。
その最終形態が宇宙かなと思います。
aoi そうだね、物欲は尽きないね。大量消費から選別する消費、もしくはメルカリやヤフオクのように交換消費に形を変えても物欲そのもののレベルはむしろ増加していると言えるよね。そこは具象と抽象という別問題になるんだろう。
個人戦とはいえ、もしかしたらニコ生などインターネットの普及によって悟りを開いた者が導くつもりがなくとも感銘を受けた人たちが増えたらベクトルとしては悟りへと自然に向かうのかも。陽平くんはそれを期待しているのではないかと思ったり。
神の次元、在り方について共有できたのも有意義でした。波長の様々なイメージも参考になるね。また鈴木大拙を読み込むことでそのイメージに質問するかもしれない。その折はよろしくお願いします。
ただ、まだそこから派生したオーラや地球、そして宇宙の発想は正直ピンと来ない。もちろん言葉としては「そうかも知れない」と頭ではわかっても、血肉の言葉に思えないというか、まだ飛躍している感じがある。まだまだ地球を自己同一するまでには至れないな。ガイア思想なんてあったけれど。
とまれ楽しく有意義な会話でした。付き合ってくれてありがとう!
川崎 もちろん僕がまだ悟ってないから血肉の言葉に思えないし、飛躍していると感じると思います。
僕が悟って自分で体験した話で無いと説得力は無いと思います。
悟りたいという煩悩が頭を過ぎります。
地球を自分の事とは思えてませんし。
こちらこそ、ありがとうございました。
このやり取りをブログに上げてもいいですか?
aoi いいですよ!
川崎 ありがとうございます!